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変わらないものが変わりそうなときにどうするか立ち止まることが大事


アクセシビリティカンファレンスCHIBA2026に参加してきた。

去年に引き続きの参加で、その時にもブログを書いている。

この1年間を振り返りと今回の感想をSNSのタイムラインを見返しながら書いていきたい。

この1年間のアクセシビリティの向き合い方

去年は転職をして人数的には多い会社に所属することになった。一応上場している企業なので、障害者雇用を行っており当事者の方も勤務している。入社当時は知らなかったが、後から知ることになる。

前回のアクセシビリティカンファレンス以降「アクセシビリティって壁が多い」けど「自分の取り組める所から始めればいい」という気持ちのまま部署関係なく「雑談しましょう!」ということを声掛けして毎週ゆるくアクセシビリティ雑談というものを行った。

実際の当事者ともお話することもできて、視覚障害者の歩行や信号機の確認を支援するアプリの話とか行政機関のPDFとか選挙の際のアクセスの話とかをして非常に学びになった。東京だと歩行アプリの対応範囲が広いことに対して地方ではまだまだなど実際の体験談を聴くことができた。

ここから何か発展があるかと言われると特にない。だが最近この雑談を全員に聴いてもらうようにしてきっかけを増やすのは良いと考えて次なる企画を検討している。

転職前に職場ではエンジニアやデザイナーのアクセシビリティ好奇心が強いイメージがあったが、今の職場は今まで関わったことない職種に方にアクセシビリティ好奇心、興味のある人がいる印象だ。これは自分としては新しい経験であり、関わり方が全然違う。「エンジニアなのに何でアクセシビリティとかに興味あるんですか?」みたいなことをよく聴かれるようになった。

実際の業務では相変わらずエンジニアをしているわけで、去年と大きく変わらない。AIの進化に怯えてもいない。自分の作るものが使いにくい、使えないのは絶対嫌だという「変わらないもの」を今でも継続しているだけである。

関連する書籍とかも結構読んだ。ケアや、フェミニズムの本だったり、ニューロダイバーシティだったり。特に現代思想2026年5月号の特集がニューロダイバーシティだったがこの本が良かった。

この本の中で気になる言葉があったので紹介だけしておく

アクセシビリティは、固定的に与えられる仕様ではなく、利用者と環境との関係のなかで生成され続けるプロセス

一見いい言葉には見えるんだけど、責任の所在をぼかすような方向性にも読める点だ。この言葉は「空港のアクセシビリティ」という寄稿の中での文脈で登場するのだが、今回のアクセシビリティカンファレンスのセッションの中で「JAL独自のアクセシビリティ施策」を聴いてこの言葉を意味を噛み締めた気がした。ユーザーとの対話でプラスαを提供していく姿勢や会社としてのフィロソフィーを持つことでプロセスを改善していく事例を聴くことができたからだと思う。

タイムラインで振り返る

ここからは気になった所をSNSのタイムラインを振り返りながらピックアップして行こうと思う

文化芸術をひらかれたものに

UDcastの事例紹介の話として字幕の話。そもそもサービスを知らなかったので申し訳ないという思いで聴いていた。

わかる。と思いつつ塩梅が難しそう。その作品自体の内容を壊さずに何かを追加することは監督だったり映画制作側はどこまで関与しているんだろうとは思った。

この投稿後に映画監督とかとMTGしているみたいなことを仰っていたので、一定会話はしていそうな感じはした。交流会で話などしてみたかったが、タイミングが合わず。。

自分も大学生のときは映画制作などをしており脚本などもしていた黒歴史時代があるが、情報担保しての字幕はWCAG的にも録画の場合は、レベルAではあるし、代替情報としてあるべきだとは思う。ただ、作品そのものの良さや感性から見るととても塩梅が難しいなと感じる。アクセシビリティが地味な作業というのを改めて思った。

その字幕があるかないかに関わらず映画を見た人の感想はそれぞれ違うはず。ただ意図を汲み取る所まで関与するバランスが非常に難しいと思うなど。

わたしの一歩一歩

非常に印象に残ったセッションだった。そもそもカンファレンスで小学校4年生が発表する内容を聴くということ自体あまり見慣れない光景だった。

自分にも息子(小学2年生)がいる。おそらく普段の家族の会話でもアクセシビリティという単語はあまり出ないまでも「障害のある」とかそういうことは出てくる。息子の通っている公立の小学校には特別支援学級が存在する。息子の話を聴くと、学校の取り組みとして特別支援学級に通っている子と割と頻繁に交流して自分のクラスに招いて一緒に遊んだりしているのをよく聴く。そこで詳しくどんなことして遊んでいるのかとか聴いてみると、「耳が聴こえなくてもできる遊びを学級会でみんなで考えてからやる」など結構ちゃんと取り組んでいるんだなと感じた。

子どものときから特性のある人と触れ合うことは非常に大事なんだなと感じる。

非常にわかる。全部インクルーシブにする必要はない。

かのんさんがランウェイを歩くファッションショーに参加した話を聴いて街録チャンネルを思い出した。

この動画でもファッションショーをしていた。

スポンサーセッション

スポンサーセッションの内容から登壇者からフロントエンドエンジニアということもあり、Webアクセシビリティの話っぽくなる

お二方のセッションどちらも良かった。「アクセシビリティから見つけた、エンジニアとしての軸」の方では変わる技術、変わらない目的というサブタイトルで今回のアクセシビリティカンファレンスCHIBAのメインテーマにも被せてきた形だろうか。

自分にとって変わるものと変わらないものって何だろうなとセッション中に急に考え出し、途中微妙に聴いていない時間もあった。今回のこの記事のタイトルが出落ちになっているが、「変わらないものが変わりそうなときにどうするか立ち止まることが大事」という別の観点で考えた。これは別にアクセシビリティに関係なくそうなので、抽象的にではあるが。

AIの話もあったことで変わっていくことは実際いいことだ。技術の発展によってAIが搭載された白杖を開発され、盲導犬も不要になっていく未来がくるかもしれない。テクノロジーは圧倒的に人のアクセスをしやすくするためのものとして素晴らしい。

ただ企業の取り組みとしてどこまでそれをできるかはその企業のパワーに関わっている部分が多い。

そういえばゆる言語ラジオで吃音シリーズとして直近こういう回があった

この中で合理的配慮の話に触れているのだが、企業が取り組むときの落とし所を探っていく内容で非常に共感した部分が多かった。

会社からのトップダウンと、自分自身としての魂が震えるかの両方が合わさった時に何かが起こるというのはそうだなと思った。これもアクセシビリティに関係ないことではあるけど。自分も当事者と話すときに普通に会話している中で、細かい気づきが積み重なる感覚がある。

営業観点でのアクセシビリティ

クライアントに営業する際の心得的な内容

この会場にどれぐらい営業さんがいるんだろうか。次回もし開催する際は、Compass上で職種を選んでもらうと当日にどれぐらいの割合が来ているか分かりそうだなと思った。(参加登録時に何をいれたか覚えていないので、もし既にあったらすみません)

話はちょい逸れるが交流会で、お話した方が営業から内部のことを色々やる何でも屋さんみたいな感じの方でこの内容が刺さったと仰っていた。ちなみにその方は5年前からアクセシビリティをやっていきして社内に浸透していったという猛者でなんだかパワーをもらえた。

(一点だけ気になった点として、SEOに相性がいいというのは実際どうなんだろう?セマンティクスにする文脈なら分かるんだけど。。。)

自分の話をすると弊社は営業がめちゃくちゃ多い。ので意識してもらうことへのハードルは高い。ただ浸透したらめちゃくちゃ最強の営業部隊にはなる気がしてリーチしていきたいところ。

JAL独自のアクセシビリティ施策

まず思ったこと

このセッションを聴いて思ったのは、大企業だから影響のある会社だからこういう取り組みをしないといけないということは分かっている。しかし実際その取り組みをしていくのは、行動力で自分ごととして捉えることができる「人」であることを再確認したことだった。

本当にそうだなと思う。目の前にいる人のことを考える。これに尽きそう。アクセシビリティの話するとき大きく捉えがちになって進まないみたいな構図も目の前を見るだけで何かが解決されることだったあるはずだ。人権とかそういう話も大事だけども。

また、何でそんなにホスピタリティというかマインドがあるのかを考えると

こんなことも感じた。

おわりに

自分の思ったことを整理した内容になってしまった。本当はもっと書いていたんだけど、削った。

運営のみなさま、登壇者のみなさま、お話していただいたみなさま、ありがとうございました。